痛みはやがて快感に変わるとは思えない

 

パーク500に車を停めていたのだが、数時間後に戻ってきたら、こんな事になっていた。

びっくりした。よかった。この場所より少し遠くに置いていて。



こんにちは宅徒(天野稔啓)です。

よく、痛みはやがて快感に代わる。とか、

言っているのを聞く場合がありますが、

私的には、その言葉通りの意味で考えた場合は、


ない。ですね。


私の感覚(知覚)の解析的には、以下の図のイメージになるのだが。


痛みはやがて快感には変わらないと思う。

ついでに言うと、

気持ちいとか、快感に感じる感覚(笑い≒面白いと感じる感覚)は、

余韻がほとんどない。

かゆい所を掻いたとき、最初は一見した感覚は気分が良いが、

それが快感ではないと感じている理由は、

そのまま患部を掻き続けると、どんどん痛くなるからである。


体のある部分が痛い!というときは、病院に行く人は多いと思うが、

体のある部分が快感がすごすぎて困る!

と言って病院に行く人は、あまり居ないのではないのか?


なので、

かゆい時は、病院に行く人も多いだろう。

あなたは

気づかないうちに、

かゆいという場合は、痛いに近い現象が起きているという事は、

潜在的に自覚している可能性は高いと思う。


ただ、心は、

かゆいというのは、快感であると思いたい

という心のほうが、先行してしまっている、

真ん中のグラフのイメージではないのか?

掻けば掻くほどに

快感が増していくと思っているのに、

実際は、

どんどん痛みが増してきているのも、

それなりに自覚しているのではないの?


という概念図。



そういう意味では、忘れるという能力である。


忘れたら、苦痛だった記憶は、

忘れた後は、何ら残ってない。


忘却、記憶の消失。 


という事は、快楽かもしれない。


忘れたという快感。爽快感。

それは人間に基本的に備わった、

基本能力だと思うのだが。

(人によっては…真逆かもしれない。

忘れてことが出てこなくて苦悩してしまう方。)



例えば…

死ぬまでに必ず起こると言われている

痴呆(老化による健忘症含む)という現象。

或る意味において、普段の生活環境の中において、

なにがしかの理由を起爆剤として、

不快感を感じるすべての記憶が、すべて消去できてしまう。

そういう特殊能力。≒忘れてしまった。


潜在的特殊能力が、

超新星爆発的に

超特殊能力として発現した状態


であるのかもしれない。



それでは。





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